浦安の舞 奉納奉告祭
2019年10月27日ブログ
今日の午前中は
浦安の舞
衣装奉納奉告祭があり
お招きに預かりましたので
出かけて行きました
8月
色々な偶然と言う必然が重なり
自分の産土神社が見つかりました
無事参拝が出来た折りに御朱印所で目にした
【浦安の舞衣装ご奉納のお願い】なるご寄付の紙
神社
仏閣に行きましたら
ご祈祷やお賽銭で
お金を納めるのも宜しいですが
その時々
神社仏閣がお困りで
皆様にお願いされている事がある時
例えば
建物の修復される箇所がある場合などのご寄付は何より
神社仏閣の神様天部神様がお喜びになります
そんな事を
教えられて育ちますと
ご縁のあった場所で修繕等のお願いがありますと
必ずご寄付して参りました
今回は舞の衣装と書かれておりまして
勉強不足でその時は良く意味が
分からなかったのですが
何かお役に立てるかな。とご寄付して帰りました
そして
その事をすっかり忘れていた9月も終わりごろ
神社の方から
大祭のご招待状が届きました
丁寧に書かれた奉納奉告祭の内容に
わぁ
伺いたい…と思いましたが
体調が絶不調の時でしたので
行きたい気持ちと行けない確率を思って
出欠のおハガキが出せずに居たのですが
病院の検査結果が良好でしたので
出席を大きく丸で囲み投函しました
投函に至るまでは
そんな不安定な心理状態でしたので
今日は
いつも以上に
感謝の気持ちいっぱいで朝を迎えました
朝方は
お天気が心配でしたが
快晴の空の下
時間の余裕を持って神社到着ができまして
新参者でドキドキでしたが
ありがたく報告祭に参列が出来ました
宮司さまからは
皇紀2600年奉祝の折に新調された衣装が
この度
天皇陛下御即位の年に
78年振りに新調する
運びになったとご説明頂きました
即位の年に新調出来た事は
大変めでたく奇遇な事と仰ってました
そして
歴代このお衣装を
保管をして置く箱の中には
今回はご寄付した皆様のひとりひとりの
お名前を書いた用紙を入れさせて頂きます
と
ご報告下さいました
78年前から衣装を保管されている箱の中には
当時からの木札が入っているそうですが
奉納の年月日しか記載が無かったそうです
なので
今回は全員の名前を残して置きたいと
ご配慮下さったようです
私にしてみれば
たった
一度だけ参拝して
たまたまご寄付させて頂いた事が
こんなにも歴史があるお祭り事にお役に立てて
その名前が産土神社の中に
ずっと残って行く事になるなんて
それこそ
「大変めでたく奇遇な事」過ぎて
本当にびっくり致しました
思い起こせば
今年
オフィスSkyの産土神社
新栄白山神社での大祭の歳拝見したのが浦安の舞とこのお衣装でした
あまりの美しさに言葉を失ったのを
ハッキリと覚えています
その時は
お写真が撮れませんでしたが
今回は特別に許可が出ましたので
何枚か撮影が出来ました
本当に
ため息が出るほど美しい衣装でした
因みに
舞をご奉納された巫女さまは
熱田神宮でお仕えになっていたおふたりと
言う事で
これもまた不思議な縁を感じました
因みに
浦安の舞と言うのは
1940年
皇紀2600年奉祝会に合わせ
全国の神社で行う奉祝臨時祭を行うに合わせ
宮中省学部長の多忠朝(おおた ただとも)が
作曲と作舞をされた神楽舞の事です
歌詞は1933年
昭和8年に昭和天皇がお創りになったそうです
「天地(あめつち)の神にぞ
祈る朝なぎの
海のごとくに波たたぬ世を」
題名の「うら」とは
心を指す古語で
うらやすでこころの平穏を表す
日本国の別名を浦安国ともいう
日本書紀には
このように記されているそうです
天皇陛下のご即位の儀も終わり
いよいよ新しい時代へと移り替わりましたが
最近の台風の被害には
本当にこころが痛みます
この昭和天皇がお読みになったように
いつまでも
全ての方が
豊かで
幸せで
健康で
こころ穏やかに過ごせる
美しき日本でありますようにと思いました
本当に素晴らしい機会を与えて頂き
感謝の気持ちでいっぱいです
そして産土神に見守られながら
神無月を無事過ごす事ができ
明日
月は
いよいよ新月へ向かいます
素晴らしい月齢28.4日の夜
森羅万象
神羅万象
全てのことに感謝して
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